代表挨拶・お礼

ゆうちゃんのお父さんとお母さんとの出会いは、遡ること21 年前になります。
当時、私はゆうちゃんのお母さんと同じ職場で働いており、ゆうちゃんのお父さんが働いている飲食店の常連でした。その頃はゆうちゃんのお父さん、お母さんはまだ結婚していませんでした。
時が流れ、ある時その時に働いていた職場のお友達と、何気なく入ったお店になんと、ゆうちゃんのお母さんの姿が!「久しぶりだねぇ、ここでバイトしてるの?」と、尋ねると、『いやいや、ここは私のお店だよ』と。そして厨房から出てきたのは、かつて通っていたお店にいたゆうちゃんのお父さんではありませんか!夫婦になってるのはその時聞いて、それはそれは驚いたのを覚えております。何せ、二人が結婚する前から私は共通の友達だったのですから。
そこから、ゆうちゃんの家族と私の家族が、家族ぐるみで親しくなり(私の旦那もゆうちゃんのお母さんと同じところでバイトとして働いていたので)一緒にボーリングしたり、映画を見に行ったり、お泊りっこしたりしてました。
ゆうちゃんは4人きょうだいの末っ子。ゆうちゃんのすぐ上のお兄ちゃんは私の末っ子と同じ年。私が末っ子を産んで間もなく、週末だけゆうちゃんのお父さんお母さんの営んでいるお店でアルバイトをすることになりました。
そして、ゆうちゃんのお母さんがゆうちゃんを、お腹に宿したときも私はお店でお手伝いをしておりました。ゆうちゃんのお母さんは、とても頑張り屋さんでゆうちゃんが産まれるギリギリまで子宮口を縛り、お店に立っていました。
そして、ゆうちゃんが産まれました。が、どうも様子がおかしいと。聞けば肺がうまく広がらないの。と。即、こども病院へ。そこ大動脈弁狭窄症と診断され、、ゆうちゃんの病気との戦いが始まりました。
入退院を繰り返し、毎日お薬を飲み、水分制限も頑張ったゆうちゃん。何度も何度も手術をして、それでも私たち家族にはいつも笑顔で接してくれて。とても強いゆうちゃん。
私はお腹にいるときからずっとずっとそばで見てきて、家族のような存在のゆうちゃん。
今回、海外での心臓移植の話をご夫婦で悩んでいる。と聞いたとき、背中を押しました。
何カ月も悩みに悩んで、ゆうちゃんのお父さんとお母さんは海外移植を決意しました。
救う会の代表を頼まれ、断る理由など何一つありませんでした。
私の息子のようなゆうちゃん。何としてでも助けたい。それだけです。
コロナ禍で大変な時とは百も承知ではありますが、皆様の心温まるお言葉と、ご支援なしでは目標募金額を達成することは出来きません。
勝手なお願いとは思いますが、何卒ご支援・ご協力のほどよろしくお願い致します。

ゆうちゃんを救う会  代表:小林章子

お礼の言葉

日頃より「ゆうちゃんを救う会」へのご協力、感謝申し上げます。

2021年11月16日の記者会見から約3ヶ月で、目標達成することが出来ました。ひとえに支援してくださった皆様のおかげと感じております。ありがとうございます。

役員も皆、初めての経験で右も左も分からない中の活動でしたが、【ゆうちゃんを救いたい!助けたい!】その一心で、ここまで駆け抜けてまいりました。支援の輪が日本全国、そして海外にも広がり、救う会一同心より深く感謝申し上げます。

目標金額達成=ゆうちゃんのスタートライン。元気になって、学校に通い、おともだちとおいしい給食を食べ、勉強をし、きょうだいで仲良くお家で過ごす。そんな、普通の生活が出来るよう、今後もゆうちゃんを応援していきます。

今後の様子もホームページやSNS等でご報告させて頂きますので皆様も温かく見守って頂きますようよろしくお願い致します。

ゆうちゃんを救う会  一同